1947-11-19 第1回国会 参議院 本会議 第53号
政府原案は第一條といたしまして「私権ハ総テ公共ノ福祉ノ爲メニ存ス権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義二從ヒ誠実二之ヲ爲スコトヲ要ス」、第一條の二といたしまして「本法ハ個人ノ尊嚴ト両性ノ本質的平等トヲ本旨トシテ之ヲ解釈スヘシ」、こう政府原案にあつたのであります。
政府原案は第一條といたしまして「私権ハ総テ公共ノ福祉ノ爲メニ存ス権利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義二從ヒ誠実二之ヲ爲スコトヲ要ス」、第一條の二といたしまして「本法ハ個人ノ尊嚴ト両性ノ本質的平等トヲ本旨トシテ之ヲ解釈スヘシ」、こう政府原案にあつたのであります。
政府の原案では、第一條の第一項として、「私權ハ總て公共ノ福祉ノ爲メニ存ス」いう規定を新設いたしましたが、衆議院におきまして、右の規定を「私權ハ總テ公共ノ福祉ニ遵フ」ということに修正いたしました。更に第一條の第三項として、「權利ノ濫用ハ之ヲ許サス」という規定を附加することに修正をいたしたのであります。
第一に、原案における私権の定義によれば、「私権ハ総テ公共ノ福祉ノ爲メニ存ス」となつているが、この定義は國民の基本権を定めた新憲法の精神を正当に表現していないのではないかという質疑がございました。
第一條中「総テ公共ノ福祉ノ爲メニ存ス」を「公共ノ福祉二反セサル限度二於テ存ス」と改める。 原案によりますれば、「私権ハ総テ公共ノ福祉ノ爲メニ存ス」とありまするけれども、これは一に社会主義的ないし共産主義的思想に基いたるものでありまして、私法上の権利は國民の個人的利益のために存するものでありまして、決して公共の利益のためには存し得ないのが原則であります。
第一といたしましては、改正案の第一條「私權ハ總テ公共ノ福祉ノ爲メニ存ス」という條文につきましては、すでに本委員会におきまして相当深い質疑應答が行われたのであります。特に総理大臣並びに司法大臣の出席も求めまして、その答弁も得たのであります。
この度の民法の改正におきまして、第一條には「私権ハ総テ公共ノ福祉ノ爲メニ存ス」ということがございます。これはある人から言うたならば、大変問題にいたしておりまして、私権は公共の福祉のために存すということがいわゆる憲法違反であるというような論する者がございますが、これは実に最高の道徳を謳つたものでありまして、我々は全面的にこれに賛成する一人であります。私権というものは公共の福祉を沒却した私権はない。
○國務大臣(鈴木義男君) お言葉でありまするが、私は私権を手段として、公共の福祉の手段として使うというふうには解しておらないのでありまして、調和するように解釈され、取扱わなければならない、そういうことの趣旨に解釈しておるのでありまするから、又これを率直に読みまして、そういうふうに読むことがむしろ常識的ではないか、「私権ハ総テ公共ノ福祉ノ爲メニ存ス」、若しそれがよろしくなければ、公共の福祉に副うように
この民法の第一條の一項に從いまするというと、まず、伺いたいのですが、「私権ハ総テ公共ノ福祉ノ爲メニ存ス」というのでありますならば、これは個人のためには有しないという意味、それを解釈すればそうなると思うのですが、その点について先ず承りたい。
ということがはつきり書いてあるのですが、何故にそれを逸脱してそれ以上に「公共ノ福祉ノ爲メニ存ス」という一項をわざわざ加えるのか。憲法ではまず與えるのじやない、これは生まれながらにして持つものである、持つているものをいかに利用するかということについては公共の福祉のために使えということが憲法の規定にある。